2011年12月6日 星期二

公衆の面前で化粧すること



今電車やバスで若い女の人がよく化粧をしています。私はそれは嫌な感じを持たないけれども、なんとなくおかしいことだと思います。

昔化粧はお金持ちの人の特権だと思っていました。その層の女の人は身分を示すため、あるいは好きな人を喜ばせるために化粧をしました。彼女たちは一般的に教養があったので礼儀をよく弁えていました。人の前で化粧をすることは絶対しませんでした。

しかし消費主義が発展した現在は化粧することはお金持ちの人の特権ではなくなりました。普通の人もするようになりました。特に若い者にとって化粧することは自分の個性を示すことです。公衆の面前で化粧しても全然気にしません。それは自由と言われても自由を安っぽくするだろう。

揺れているバスで付け睫毛を上手につけられるのはある意味うらやましいです。

2011年10月25日 星期二

かわいそうな絵描き

 ある日、一人の絵描きが街角でお客様が来なかったので、白昼夢をみていた。夢でフランスの印象派の巨匠モネと話した。モネは人間は芸術が全然わかっていない。おまえ、お金のために芸術の理想を捨てることはするな、、、、、、、

 おい、絵描きさん、、、、老いた姿のおばあさんが絵描きの前で大きな声で呼んだ時、絵描きは現実へ呼び戻された。おばあさんは似顔絵を描いてもらえませんかと言った。絵描きはわかくもきれいでもないけど、顔のしわでおばあさんの人生の歳月を表そうと考えた。

 できた。おばあさん、似顔絵はいかかですか。

 ええ、、、、、あたしこんなブスかしらと言った。だめだめ、もう一度描いて 、、、、、。絵描きはうまく描けたと思ったが、おばあさんにその似顔絵は品格がないと文句された。そして、絵描きが何度も描き直させられた。

絵描きは一生懸命に描いていた時、おばあさんはゲイジュツはきびしいもんだよと先生みたいに言った。絵描きはこのおばあさんをわかくてきれいに描くことは芸術になるのだろうかと自問した。しかし、最後松隆子みたいな似顔絵をおばあさんに渡った。

その晩、絵描きが夢でモネはそんな恥ずかしいことをして、きみとはもう絶交だと怒って叫んだことをみた。かわいそうな絵描きたっだ。

2011年10月23日 星期日

【美しい日本の私】の鑑賞


1968年1月ノーベル文学賞の受賞式で川端康成は受賞者として、日本文化の禅の要素を凝縮的な言葉で西洋社会に伝えました。受賞スピーチは「美しい日本の私」と題されました。

はじめに、川端康成は十三世紀の禅師の道元禅師や明恵上人の詩を引用し、禅の世界での人間と自然の関係を説明しました。禅師たちの詩によれば大自然に触れるだけでなく、この大自然に溶け込めば、心が澄み、「生死を離る」ようになるそうです。

明恵上人は真夜中、山の端にある禅堂で座禅しました。月は明恵を照らして、しばらく一緒にいてくれました。明恵は月を友だちとして座禅していたので、狼の吼える声を聞いても怖がりませんでした。それを川端康成は月を友だちとするよりも月に親しく、月を見る明恵が月になり、明恵にみられる月が明恵になり、自然に没入、自然と一体化していたと表現しました。この明恵の落ち着きが私を感動させます。明恵の心の広さも大自然がもたらす幸せを感じさせます。

川端康成は東洋画も茶道も華道も日本文学も使って、禅の世界を説明します。西洋の世界は往々に日本の「無」は西洋の「虚無」だと誤解してきました。しかし川端康成は「万有が自在に通う空、無涯無辺、無尽蔵の心の宇宙なのです」と言いました。この心境に至ったら川端康成が言う「極めて狭小、簡素な茶室はかえって、無辺の広さと無限の優麗とを宿しております」と言う言葉がわかるでしょう。川端康成は他からの教えよりも、内に目覚めるさとり、直観が大切だと言いました。その方法は座禅であると私は信じます。

このスピーチは六枚のページしかありません。しかし日本文化の深層なところ「禅」をはっきり説明しました。川端康成の見事な文章を味わえるのはうれしいです。また、理論的ではなく、日本の暮らしの中で繰り返されることから話したので日本人の生き方を理解することができます。さらに、このスピーチで一番貴重なのは禅の世界を垣間見ることができることです。

2011年10月11日 星期二

私の性格


 自分の性格を話すことは難しいです。自分の長所を話すことは恥ずかしいと思います。反対に自分の短所をここで公開するのはできればしたくないです。また自分の短所をあまり考えないので私をよく知る人にインータビューして私の本当の性格を皆様にお伝えます。

 主人の答えは君は双子座だから二重人格でしょ。いいところは僕は妻が二人いるようなことだよ。一人はかわいい妻で、もう一人はライオンみたいな妻がいると思っている。珍しいことでしょ。悪いところは、、、、、時々適応しにくいことだよ、、、、、、、、、

 息子は主人の話に割り込んできて、賛成だと言いました。例えばお母さんは自分が使うお金は気にしない。でも僕の小遣いに対してはきっちりしているだよと苦情を言いました。

 私はああそうですか。ごめんね。あなたたちとって私は困ったことをしていたわね。これから、できるだけ二重人格にならないようにしますよと言いました。でも、皆さんきっちりしている主婦がいる家庭は家族が幸せだと思いませんか。ああ、そういえばあなたの将来のためにお金をためなきゃ、来月の小遣いは半分差し引きますよとまじめっぽく言いました。

 お母さん、、、、、、、、、

 でも、決めた。

 皆様、私の性格はどうおもいますか。

大自然はいい先生


鹿は遊歩道から3メートル先にある白樺の木の下でゆったりと落ち着いた様子で草を噛んで食べていた。

 先週北海道の知床へ行った。知床はずっと行きたいところだった。インターネットでサーフィンを好む私は周りの樹林や知床連山を湖面に映しながら静寂を保っている姿の写真を見てすぐ心がひかれた。そこに行こうと思った。

 その日、知床五湖公園のセンターに着いた時、青空の下で太陽が私たちをやさしく暖めてくれた。森に足を踏み入れたとたん、木の香りが漂ってきた。耳を澄ますと森の中に響き渡る鳥の声が聞けた。その大自然がもたらす静けさを楽しんでいだ時、前を歩いている友たちが嬉しそうに私を招くように手を振った。友たちの側に急いで行ってびっくりした。一頭の大きい鹿が遊歩道の3メートル先で草を噛んで食べていた。鹿はゆったりと落ち着いていた。十人ぐらいが鹿を囲んで写真を撮っていたが、鹿は人を見ても全然こわがらなかった。

人間以外、野生的な動物が籠に入っていない状態でそんな近い距離で目にしたのは初めてだ。人間はどうしてそんなやさしい生物を殺して、それに動物を住みかから追い出して彼たちのうちを侵奪するのだろうか。人間の貪欲さにほかならない。

大自然はいい先生です。大自然に接することは今の暮らし方を反省させてくれ、私は調和のとれた生活へのために努力をしつつけることができる。もう一度知床へいきたい。

2011年9月20日 星期二

作文クラス


先週大期待の日本語の作文のクラスが始まった。心がうきうきした。

外国語研究者の友達は外国語を学んだらまるで二番目の人生を得るようなことだと言った。私はいつもこの気持ちを持って日本語を勉強している。

彼は私を欺かなかった。今、日本語の本や文章などが読めるようになった私は日本人の世界でゆるゆると歩き回れて始まってきた。ただこれは夢を遂げる途中だ。

聴、講、読は完全無欠の日本語にひとっでも欠けていてはならないと思う。それから五年でも、十年でも、、、、、日本人らしいの日本語を書けるように、一生懸命勉強したい。

みなさん どうぞよろしくおねがいします。